ブログ開設 5周年
お久しぶりです。
みなさん、元気ですか?
なんだかね、コロナ禍というトンネルの出口がようやく見え始めたところで、ウクライナ危機が起こって、ザワザワが収まらないっすね。
自分に何ができるんだろうとか考えてみるんだけれども、ウクライナの平和を祈ることしかできないもどかしさ。
ウクライナに一日も早く、戦争におびえずに済む日がやってきますように。
さて、3月16日で、このブログを開設して5年が経過しました!
ぱちぱちぱちぱち
吉岡豊史上、最も一番浮き沈みの激しい5年でした。
2017年3月にこのブログを作ったのですが、その9月に親父が亡くなったんす。
自分が思っていた以上に、親父の存在はでっかかった。
闘病生活が長かったせいもあり、生きるうえでのはしごを突然外されたような、落とし穴に突き落とされたような、そんな気持ちになりましたよね。
実家で母と2人暮らしになって、毎日喧嘩ばかりで、自分がドンドン意地悪になり、閉塞感しかない毎日。
嫌な人間になっていくのがわかりました。
これじゃいけないってことで、文学を学ぶために2018年に大阪芸術大学の大学院に入学。
これが本当に楽しくて。
小説を書くという行為は、自分の欠点やら、嫌なところやら、変態な部分と向き合うということ。
それを客観的な視点から、肯定したり、否定したり、面白いと思ったり、反省したり。
いかに自分が自分の中にある矛盾や不条理を肯定するためにエネルギーを使っているか…そんなことがよーくわかる時間になりましたよ。
しかも、プロの小説家の先生方にそれを見てもらえるということは、とても稀なこと。
先生方の「書く」ということへのこだわりや、言葉を大切にする姿勢、何よりも「書くこと=生きていくこと」という覚悟を教わりました。
最近、よく聞かれる「学びなおし」、おすすめっす。
そして翌2019年、親戚の叔母さんの紹介でお付き合いを始めた、奥さんと結婚!
気ままに生きることの裏返しは孤独だと、勝手に決めつけていたので、結婚なんて考えてもいなかったのですよ。
それに、ぼくの年齢が年齢だし、お金とか時間とか不安定要素もあり、そもそも社会不適合者なので、いろいろと考えましたさ。
でも、ぼくはフリーランスのライター、奥さんはアーティストということで、リズムが合ったんすよね。ラッパーだけに。
そして、2019年の年末に息子が生まれ、ガラリと生き方を変えることになりましたです。
もともと自宅勤務なので、家族とずーーーーーっと一緒ということっす。
この20年間、仕事を軸に生活のスケジュールが回っていました。
1日最低5~10ページの原稿を新規書きができるように、食事も睡眠も外出も設定してきました。
ところが、赤ちゃんは、こっちの予定なんて知ったこっちゃねぇっす。
おなかがすけば泣くし、眠くても泣きます。
げっぷが出そうでも泣くし、うんちが出ても泣くんす。
その都度対応しなければ、息子の健康や命にも関わる…。
そう思うと、泣く声がしたら、仕事よりも息子を優先してしまうんすよね。
家事だって、どの作業も誰かがやらなきゃならない。
キャパシティオーバーでも、それは自分の家族のことであり、自分自身のことなんす。
このパラダイムシフトには、本当に苦しみました。
潜在意識の深いところで「自分は仕事をしているから、その労力に相当する家事や子育てはしなくていい」みたいな思い込みがあることに気付き、それを修正するのに相当エネルギーを使いましたよね。
仕事と子育て、家事とのバランスや、時間配分は、今も課題っす。
とはいえ、息子がはじめて寝返りを打った瞬間、はじめてハイハイした瞬間、はじめて立ち上がった瞬間、はじめて言葉を話した瞬間、はじめて歩いた瞬間。
その全部を自分の目に焼き付けられたのは、フリーランスならではの特権っす。
息子の笑う顔を見るだけで、もやもやは全部ぶっ飛んでしまうのです。
という、5年間。
おかげさまで息子も2歳4か月。
でも、あと20年は稼ぎ続けなきゃなりません。
頑張ります。
20年後にもこのブログがありますように。
応援よろしくお願いします。